マイストーリー

こんにちは、店主の多賀谷由紀子です。
1995年の阪神・淡路大震災を22歳で経験して「人間はいつ死ぬかわからないから今を大切に生きよう」とシンプルに学んだワタクシの今日までのお話をちょこっといたします。

 

-体の弱かった幼少期から普通の大人に― 

1972年秋、2800gで大阪に生まれたワタクシは幼少時からカラダが弱く、いつも自家中毒に悩まされる子供でした。しかし父に男の子並みに野球を教えてもらったことがきっかけで徐々に体が強くなり、野球をやりながら同時にサッカーやバスケットボールにもあけくれる球技大好き少女に。1人前のごはんが食べられなかった私もスポーツのおかげでどんどん丈夫になり、毎朝母の特製ホットサンドをいくつか持っていき学校で早弁と称して食べていました。夜の焼肉はごはん大盛り!急激に丈夫に育ったのは父と母のおかげです。

なんとなく大人になり、少し厳しくなってきた就職活動を乗り切り、地元・神戸の老舗スポーツ店になんとか就職。配属されたのは採用教育管理課。1年ほど我慢しましたが事務仕事が全く面白くなく、ある日「接客がしたいんです…」と店長に直談判。スタッフの退職でたまたま欠員が出た場所にあっさり配属された先は「登山用品売場」でした。贅沢にも「イヤやな~バスケコーナーがよかったな~登山なんてやったことないのに~」と思う日々。さらに配属後いきなり自分が計ったザイルの計測ミスで「お前のせいで死にかけたやないか!」とお客様に罵詈雑言を浴びせられ心から落ち込みました。自分から接客の仕事を望んだくせに接客がうまくできず、ドジで使えない店員でした。また毎日のように来るさまざまな手口の窃盗集団との闘いも大変で、なんだか思っていた社会人予想図と違うなぁと感じていました。

そんな時、兄に連れて行ってもらった伊吹山で突如ワタクシは登山に開眼したのです。きつい登りの途中に「振り返ってごらん」と言われたワタクシは息をのみました!すごい光景でした。山頂で食べた「近江牛弁当」の美味しさに感動し、プリムスのバーナーでいれてもらった山頂での熱々コーヒーに「なんちゅう素晴らしい世界やのん」とこれまた感動。兄はそれからも赤岳鉱泉や宝剣岳や荒島岳に連れて行ってくれ、最高の体験ができました。どの山旅も鮮明に覚えています。これはちゃんと勉強しなくてはと意識が変わり、基本から山を学びました。そこへ1995年1月に未曽有の大地震が発生し、おもいきり人生観をひっくり返されたことで「思ったら即行動!」というマインドが根づきました。


-近隣の同業他社に転職― 

あれはたしか2002年のこと。その数年前から流行り始めていたインラインスケートに全身全霊を注ぎ込み没頭しておりました。どうしてもメリケンパークで毎晩滑りたくなり神戸元町で一人暮らしをしたのですが、引越し先の近くの神戸元町にアウトドアセレクトショップができていて、気になって立ち寄ったのです。
「わたし近くの登山店勤務の多賀谷由紀子といいます。こちらとはライバル店になるかと思いますが、どうしてもこのお店が気になっていたのです。これからこちらに通いたいと思いますのでどうぞよろしくお願いします。」なぁんてご挨拶した気がします。そのお店のスタッフの皆さまには「?」という顔をされた気がしますがすぐにげらげらと笑って喜んでくださり、それはそれは温かく受け入れていただけました。

このことがやっぱり人生の転機になりました。そのお店からの『今度屋久島ツアーがあるんだけど行く?』『オーストリアツアー行く?』というお誘いに「行く行く!」と毎回お返事をしていたら、気づけばそのお店のスタッフになっていました。登山ツアーリーダーとして毎週のように山をご案内するお仕事はとっても楽しく、六甲を愛する神戸っ子のみなさまと素敵な日々を過ごしました。その頃ちょうどスイスから日本に上陸したばかりのMBTシューズの販売担当になった私は、約5年間「MBTって筋トレ効果すごいんですよ!」と情熱をもって販売し、MBTの魅力もたくさんたくさん神戸っ子のみなさまに伝えてまいりました。

2010年にはその神戸元町のお店も退職。翌年には「東京でMBTを販売してみたい!」という夢を叶えるため、MBTの直営店の中途採用試験へ。見事合格し念願の大都会・東京で働けることに。そこでどういうわけか自由が丘に新居を決めたワタクシは、その後に新店舗ができることとなったMBT自由が丘店に配属されました。何も知らずに自由が丘を選んでいたんですが、どうやらこのときから自由が丘でのその後のご縁が完成したような気がします。

-約7年の販売歴を経て念願の「独立」へ―
MBT直営店で楽しく働いていたワタクシですが、ある日またまた転機が舞い降り、2017年に個人事業主として独立を決心。世田谷区奥沢エリアにて2017年8月に「MBT walk-style JIYUGAOKA」を設立しました。こちらで8年弱ほど販売を続けましたがコロナ禍を経て思うことあり、物販だけではなく歩く会を定期開催するようなウォーキングセレクトショップにしていきたいと考え、12坪あった自由が丘のお店を2024年末にたたんで、たった2.26坪の鵜の木のショッピングヴィレッジへ移転。「ウォーキングー!UnoUno木」として2025年1月から新たに第一歩をふみだしました♪

-オットと暴走気味の二人三脚―
オットの「宮重 正道(通称シゲさん)」とは、たがや上京直後の2011年にMBT直営店で知り合いました。交際のきっかけは2011年12月の鍋割山トレッキング。『3人で山に登るはずだったのに体調不良でそのうちの1人が来なかった』というマンガみたいな展開からでした(あの時来れなかったイトウさんに感謝しております)。その鍋割山の急斜面の途中で「私がこの人を幸せにしたい」と強く思いまして、その後はたがやの猛アプローチにより、18歳差をもろともせず2016年に結婚いたしました。やや暴走気味なワタクシですが、オットは手綱をやさしく引いてくれつつ、蛇行気味の二人三脚で、喧嘩しながら今も楽しくやっております。
 

-ノルディックウォークの世界観にハマる― 

オットが以前からノルディックウォークの指導員だったことがきっかけで自然にワタクシもノルディックウォークをスタート。彼は以前大きな怪我をして生死をさまよいましたが、MBTとノルディックウォークのおかげで元気になったので、そのリハビリ効果にとても興味がありました。そこでワタクシはある日、日本ノルディックウォーク協会の指導員養成講座に参加してみました。実際にやってみると「これだ!」という新しい感覚でビビビときたのです。さらには「ポールウォークとノルディックウォークは別物であること」「キャッチアンドリリースという動きがあること」「肘は伸ばして歩くこと」などなど目からウロコのことがたくさん。これはすぐみんなに広めなくてはと急いでお店に帰りました。そしてLEKIのノルディックウォークグッズを取り扱いを本格的にスタートさせたのです。
ノルディックウォークはかっこ悪いものではなく、れっきとした北欧のスポーツなのだと伝えたい…そう思って今日に至っております。


-歩き仲間とともに人生も歩きたい― 

お店に来てくださる方とは「お客と店員」という間柄だけではない、「歩き仲間」のような感覚で接しております。当店ではイベントを開催しておりますが、皆さまの居心地のよさを第一に考えるため、勧誘その他の類似行為があれば出禁とさせていただく徹底ぶりです。 だからこそここで出会う方々は本当にいい方ばかり。名前も知らないけど、会えば「わぁ~元気でした?」イベントが終わったら「じゃあまたいつかどこかで!」と会話を交わします。友達はいなくていいよ、歩き仲間がいればいいよ、孤独じゃないよ、みんなここにいるよ。そんな心あたたまる場所になっていたら幸いです。 

歩くと身体が強くなりますし、
歩くと世の中との関わり生まれ、
歩くと単純に気分爽快。
つまり歩く事で
身体的・社会的・精神的フレイルを
まるっと予防できるんです。

あまり深刻に考えずとも
ふわっと、そんなお手伝いができるような
アットホームなお店にしていきたい…
それが当店の理念です。


人間は、いつ死ぬかわかりません。
生きているうちは、ちゃんと健康な体で、
たくさん遊んだほうがいいと思いませんか?

しっかり歩いて、
楽しく食べて、
ワハハと笑って。
人生100年時代を、ご一緒に―
楽しく歩いていこうではありませんか。


 

長文をお読みいただきありがとうございました! 

オットのシゲさんと
お店で、お待ちいたしておりますね。

【店主 たがや ゆきこ】